初代社長 久野 正雄(前列右端)
パイロット仲間と共に(木津尻・昭和六年)

 初代社長久野正雄は、鳥取県出身で1級飛び級にて、旧制大阪商科大学(現大阪市立大学)に入学、 実兄の久野晴雄の支援で当時としては先端的な大阪商科大学航空研究会に属し2等飛行士として活躍。

 昭和9年の第1回学生航空大会にて8字型飛行高度目測で優勝。 第2回大会にても、団体優勝した学生パイロットであった。
 大学卒業後は、実兄晴雄の経営する三宝伸銅工業(株)に入社し、 当時財閥系以外では最初の雑棒(黄銅棒)の製造にパイロットの技術を応用し成功。 取締役工場長として、三宝伸銅工業(株)の前身を築いた。

 戦後独立して、旭製錬伸銅(株)の社長となり、銅、黄銅条板の製造を行っていた。 旧ナニワ工業所はスチールベストの開発に成功し、ヤンマーディーゼル(株)のガスケット、パッキンを 製造していたが昭和30年頃より経営に行き詰まり、材料供給先であった旭製錬伸銅(株)の支援を受けたが、 維続不可能となり、旭製錬伸銅(株)は旧ナニワ工業所を買収。
 昭和40年旭プレス工業(株)を設立して 久野正雄が社長となり、西岡、富永を派遣し、ガスケット、パッキンの製造販売を継続した。

 しかし、旭プレス工業(株)は、旭製錬伸銅(株)の支援なしでは経営が成り立たなかったが、 旭製錬伸銅(株)も支援が不可能となった。
 そこで独立した経営をめざして、昭和54年久野博が社長となり、 旭プレス工業(株)を全面的に刷新する事となった。
 久野博は大阪大学工学部冶金学科粉末冶金講座(三谷研、永井研)を卒業した後旭製錬伸銅(株)技術部に入社し、 粉末の製造、圧粉焼結技術と、銅、黄銅板条の製造技術等、今まで習んだ技術により ガスケット、パッキンの製造法の多品種少量生産、ノンアスベスト化、超耐熱ガスケット、粉末焼結ガスケット、ゼロアス生体溶解材料を用いたメタルジャケットガスケット、NAPI850、NAPI816、NAPI800、NAPI600等、 現在も新たな課題に挑戦している。